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(個人参加)「石巻市大川小学校、長面浦地区捜索活動」

「石巻市大川小学校、長面浦地区捜索活動」

2012.6.30(土)有志として「石巻市大川小学校、長面浦地区捜索活動」に個人参加した。
(写真は撮影していませんのでDSPさんのHP写真などを引用しています。)

2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う津波が北上川から約5kmにある大川小学校に押し寄せ、児童108名中70名が亡くなりました。未だ4名が行方不明。教職員も13名中、9名が亡くなり、1名が行方不明。スクールバスの運転手も亡くなっています。

地震直後、津波が来た際に裏山に登り助かった児童、周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋のたもと(三角地帯と言われています。)を目指して移動、その直後に堤防を乗り越えた津波が児童の列をのみ込み、列の後方にいた数人は裏山を駆け上がるなどして、一部が助かったと聞きました。

大川小学校には、高齢者を含む近所の住民が避難してきていたそうです。
大川小には、犠牲者を慰霊するために制作された母子像が設置されました。

地区では
・石巻市立大川小学校の児童4人、教職員1人を含む40人が行方不明のまま
・一帯は水没
・水上川・長面浦には今も多くの車が水没したままで引き上げもされていません。
(沈んだ車などにDSPの方が潜水し目印に付けたブイが無数浮いています。)

今回は、DSP災害支援プロジェクトの方々及び地元の方と

1.大川地区の被災した地域での「行方不明の方」の捜索活動
2.長面浦でのDSP潜水の方と、ボートに乗り込み、引き揚げ・捜索活動
3.大川地区の方と筏(いかだ)作りのお手伝いをしました。

 

<陸上捜索>
・22名で陸上捜索、幾つかを警察に届け鑑定を受けました。残念ですが、行方不明者の方ではありませんでした。(ここは午後になると潮が満ち水没します。)

<水中捜索>

・ボートでの捜索では、ほんの2時間の間に、車4台が新たに発見されました。一部車のナンバープレートを警察に届けられました。(スキューバーライセンスのある方、と有志に聞かれ午後は船上でこちらの支援をおこなった)

<筏作り>
・3名が参加、一騎出来上がりました。

 

さて、「石巻市大川小学校、長面浦地区捜索活動」今なぜ?だと思いますか!

それは、

◆行方不明の方の捜索がまだまだながら、埋め立てが始まりました。

 遺族の方は心の整理が出来ません。黙々と土を掘り返し探しています。

◇沈んだ車の捜索・引き揚げもされないまま予算の都合で10月には打ち切りと聞きました。

 沈んだ車が見つかっても、証明しないと引き揚げてもらえません。
 沈んだ車は、わずかにホイールだけを泥の上に出し、水中視界1m足らず。

◆こんな状況のままで終れますか?

 その問いが、遺族の方々の気持ち、DSPの活動です。参加意志です。
 どこかで区切りが必要となるときがあると思いますが
 十分にやった、それからではないでしょうか?

◇ダイバーの女性の方は、ハワイからやってこられたと思います。

◆地元の方は、お一人で黙々と捜索されていました。

 来た方が(地元でない方?)、なんで逃げなかったんだ、~、と
 その方が地元の方と知らずに口にしたそうです。
 思わず、手に・・・と、その時の悔しさを語られました。

・今しかないんです。時間がないんです。
・今しないと、埋め立てられてしまうんです。

 詳細はDSPさんのHPをご覧ください。
(尚、記載情報に間違い、誤りがありましたら訂正致します。)

ところで、このようなことは他にもあるんだろうな、と思います。

私達は、福島を応援しています。(無論、岩手県・宮城県でもボランティアをしています。)

・福島でも諸々がなかなか進みません。
・一年たっても、なにも変わりません。
・風評被害も・・・普通に福島に足を運びませんか?
・皆さん、関心ありますよね?

ボランティア、大きなことが出来るものではありませんが
・被災された地に足を運び、見て、感じて
・被災された方の話を聞いて、感じて
・同じく今です。

普通にみなさんへです。
ボランティアの方だけではありません、普通に皆さんへです。
色々な場面があります、みんなで応援をしませんか!続けましょう。

かながわ「福島応援」プロジェクト
代表 渡辺孝彦